デス・オーバチュア
第52話「白銀の十字架」



歴史に記されるのは出来事、つまり結果だけだ。
そこに至るまでの登場人物達の想いや思考の変化までは記録されることはない。
そういった部分は、歴史という物語の読者が勝手に想像するしかないのだ。
ゆえに、後世の人間が、歴史上の登場人物の善悪を判断するなど愚の骨頂である。
同じ結果、同じ行為でも、現代で行われたことなら、感情や理由によって罪の重さは、善悪の評価は変わるのだから、感情も理由も知ることのできない後世の人間が善悪や罪の重さを決めるなど不可能だ。


「…………」
リンネはコタツに入って本を読んでいた。
コタツ。
彼女が勝手にクリアの王城の一室に持ち込んだ、毛布の生えているテーブル。
毛布の中、テーブルの壁面の裏が赤く発光して熱を発し……『温かくなる』という奇妙な機械だ。
彼女は右手だけで器用に本のページをめくりながら、同じように左手だけで器用にミカン……という名前の東方の果物……をむいている。
彼女は与えられたクリアの一室で、まるで昔から暮らしている自分の部屋のようにくつろぎきっていた。
「冬はコタツでミカン……この素晴らしい風習が東方で廃れて久しい……実に嘆かわしいことね」
リンネはむき終えたミカンの一切れを口に放り込む。
「早く東方の科学技術が進んで……また誰かがコタツを『発明』してくれと嬉しいのですわね……いい加減このコタツもガタが……」
別にコタツに限ったことではないが、東方もまた魔導大戦のおりに、殆ど全ての科学技術……魔導を失っていた。
今、リンネが使っているコタツは魔導大戦以前の骨董品であり、アンティーク中のアンティークである。
三、四千年以上前の品物であるコタツが、いまだに稼働し続けているのは、使われている魔導の技術の高性能さの証明か、リンネの物持ちの良さか、あるいは両方か。
「魔導……古代魔族のある一族が生み出した技術……その一族の最後の一人であった魔導王煌の死を持って魔界から完全に消滅する……今では魔族の魔導から見れば幼技に等しい人間界の魔導にその残影を残すのみ……もっともその幼技すら魔導大戦で殆ど滅んだのですが……」
リンネが本を左手から放すと、本のページが独りでにペラペラとめくれていった。
「別に魔導がこの世から完全に消滅しても構わないのけれど……コタツ、テレビなどいった生活用品、娯楽品が無くなると困りますわね……自分で作るのは無理ですし……オッドアイやルーファスには頼むだけ無駄というもの……」
リンネの本は独りでに見たいページにまでめくれてくれる。
さっきまで指でめくっていたのはあくまで気分の問題、読書の雰囲気を味わうための行為に過ぎなかった。
本があるページで独りでに止まる。
「ああ、ここね、彼女が寄り道する時代は……タイムパラドクス、これを無くす単純な法則は二つ、一つは未来の数が無限という多次元解釈……もう一つは、予め全てが、過去や未来の存在からの干渉すら予定通りという考え方……絶対運命解釈……」
リンネは二つめのミカンをむき始めた。
「どちらが正しいのかは私にも解らないけど……少なくとも、私の知る、私の飛べる過去も未来も常に一つしか存在しない……」
タナトスやクロスの現在……進行形の時間は、リンネから見た過去……終わった時間、『歴史』にすでに刻まれている。
「ふふふ……歴史通りなら、もうすぐ、とても懐かしい面々に会えそうね」
リンネは全ての過去が記された書、『歴史書』を閉じた。



「魔性族……いえ、羅刹族ですか。それにしては少し弱い……中の上といったところですか?」
セルはネツァクを吟味するように見つめた後、そう呟いた。
もっとも、見つめたといっても、相変わらず瞳は閉じたままなのだが。
「お前が何者なのかは知らないが……クロスの体は返してもらう」
ネツァクの右手が腰の剣の柄に添えられた。
「私もあなたのことはよく解りませんが……あなたがこの体に執着しているのだけは解ります。で? どうされるのですか?」
「取り返す……そう言ったはずだ」
一瞬。
瞬きほどの一瞬の後、ネツァクの姿がセルの目前に出現する。
「疾い……」
セルが背中を反らすのと、ネツァクの剣が横切るのはまったくの同時だった。
コンマ何秒、セルの動きが遅ければ、セルの首は宙に飛んでいただろう。
「助ける……取り返すと言いながら、迷わず首を刎ねようとしますか、普通?」
セルは微かに戸惑いの混じった苦笑を浮かべた。
「あの程度の一撃が当たるとは思っていない……それに……」
「それに?」
「もしも、取り返せない時は……殺して取り返す!」
「なっ?」
何の迷いもなく、予め決まり切ったことのように言うネツァクに、流石のセルも一瞬困惑する。
「紫光剣!」
その一瞬の隙を見逃さずに、ネツァクは紫色に光り輝く剣でセルを斜め一文字に斬りつけた。



「なるほど、魔力を己が刃と成す……間違いなくあなたは羅刹族のようですね。ですが……」
「……紫光が吸われた……?」
奇妙な感覚だった。
一撃を身に纏うマントで受け流されたような、紫光の刃をマントに絡み付かれるように吸い尽くされたような……。
「脆弱過ぎる!」
セルのマントの中から吹き出した螺旋状の翠色の風がネツァクに直撃し、彼女を空高く舞い上げた。
「……くっ……」
「私の相手をするのは最低でも千年早い」
ネツァクのさらに上空にまるで最初からそこに居たかのようにセルが待ち構えている。
「翠玉微風(エメラルドブリーズ)!」
セルは翠色の気流が激しく荒れ狂いながら取り巻いている右掌をネツァクに叩きつけた。



大地に大の字でめり込んでいるネツァクの元にセルが軽やかに降り立つ。
「思いっきり手加減したので、致命傷ではないでしょう」
「…………」
ネツァクからの返答はなかった。
「微風(ブリーズ)……そよ風、私の最弱の風(力)です……あなたの今の力など私の吐息一つ分の力にすら遙かに及ばない……若き破壊の鬼よ、もっと強くなりなさい……そしたら、今度はちゃんと戦ってあげます」
「……くっ……ぅ」
ネツァクは声を出す力すら残っていないのか、ただセルに憎しみと悔しさの籠もった眼差しを向ける。
「では、いずれまた」
「……ぁはっ……くっ!」
ネツァクは背を向けようとしたセルを、一際激しく睨みつけた。
「無駄です!」
セルが閉じていた瞳を見開く。
セルの瞳は翠色の輝きを放っていた。
何も起こらない。
ただ静寂だけが数秒続いた。
「見るだけで、全てを内側……いえ、本質から破壊する、羅刹の瞳……残念ながら、それも私には通用しません。あなたと私では存在の大きさからして違うのです。あなたの脆弱な力……意志では、私の肉体にも精神にも干渉することは不可能です」
セルは再び瞳を閉ざすと、今度こそ踵を返す。
「……待て……僕まで無視するつもりか?」
歩き出したセルは足を止めると、声のする方を振り返った。
「……おや、これは失礼、ついうっかりあなたのことを忘れて帰るところでした」
セルは嫌みでもなんでもなく、ただ本気で存在を忘れていたといった感じの表情を浮かべている。
「……どこまでも僕を虚仮(こけ)にしてくれる……忘れられて、見逃されるなど僕のプライドが許さない……トドメぐらい刺してから帰れ!」
自らを睨みつけてくるオッドアイに対して、セルは嬉しそうに笑った。
「不器用なプライドですね……引き留めなければ助かったのに。解りました、あなたの望みを叶えてあげましょう」
セルは自らの左掌を眼前に持ってくる。
セルの左手を翠色の気流が取り巻き、気流は激しさと速さを際限なく増しながら、掌の上に集まるようにして、球体を成していった。
「これが先程彼女に打ち込んだ微風を一点に集めたもの。そして……」
嵐の玉としか表現のしようのない、翠色の気流の圧縮された球体がさらに巨大化していく。
「これが疾風(ゲイル)……これが旋風(ボルテクス)……嵐(ストーム)……大嵐(テンペスト)……」
最初は掌サイズだった嵐の玉が、今ではその数十倍の大きさになっていた。
「暴風(サイクロン)! 台風などといった無差別に周囲に無駄に威力を拡散していた時とは違いますよ。このサイズにまで超圧縮した暴風の威力は……数百倍から数千倍……これなら魔王であるあなたでも跡形もなく消滅できるでしょう」
「……いいから、さっさとやれ……」
「では、遠慮なく……翠玉終極掌(エメラルドエンド)!」
セルは迷わず、翠色の暴風の玉のある左掌を突きだす。
暴風の玉はオッドアイに向かって一直線に飛んでいく。
「あいつ以外の手にかかって滅するのか……案外、早かったな、僕の死も……」
回避するつもりのないオッドアイに、暴風の玉が激突する直前のことだった。
それが空から飛来したのは。
それが大地に墜落した轟音、それと暴風の玉が正面から激突した爆音が連続で響き渡った。
激突の際に生まれた余波的な風……それでも翠玉旋風や翠玉突風以上の威力が
あったのだが……によってオッドアイが吹き飛ばされる。
「……十字架?」
暴風の玉とオッドアイの間に割り込んだそれは、大地に堂々と突き立っていた。
白銀の巨大な十字架。
十字架は、セルを張り付けにするのに丁度良いぐらいの大きさをしていた。
『たいした理由もなく、戦い、殺し合う……主よ、この罪深き魔族という存在を許したまえ……』
声はセルの背後から。
それと同時に、十字架は独りでに地面から抜けさり宙に浮かぶと、回転し、セルの頭上を通過していった。
「……いつから神の使徒になられたのですか?」
セルは背後を振り返るよりも早く、その人物に声をかける。
姿を確認するまでもなく、声だけでそれが誰であるのかセルには解っていた。
その人物は飛来してきた、自分の体よりも遙かに巨大な十字架を左手一本で軽々と受け止める。
「親友の子供すら迷わず殺そうとする……ああ、なんて恐ろしい……」
その人物は、人間界の特に西方大陸を中心に全ての大陸中に広く普及している救世主教とか聖十字教とかいう、唯一無二の『神』を崇める宗教の巫女の格好をしていた。
修道女(シスター)……そう呼ばれる存在の着る黒く地味な衣装。
だが、それにしてはスカートに深いスリットが入っていたり、各所の肌の露出がやけに多かったり、東方大陸の武術を志す女性の衣装のようにも見えた。
その上、彼女の両手には手枷、両足には足枷、首には首輪がされている。
修道服(修道女の服)とチャイナドレス(東方の女武道家の服)と鉄の枷と鎖の混ざったような奇妙な衣装
年の頃は、人間で言うなら十一〜十三歳ぐらいだろうか。
石榴石(ガーネット)のような赤い瞳が妖しい輝きを放っていた。
頭に被った布から微かに覗く髪の色は、微かに紫がかった白髪、いや、白く見える程薄い紫の髪というべきだろうか。
「この愚かなる友の罪の罰はどうか代わりにわたしに……」
少女は重さなどまるでないかのように軽々と片手で十字架を大地に突き立てると、その十字架の上にふわりと飛び乗った。
そうすることで、セルより高くなった少女は、セルを見下す。
「……なんてね。久しぶり……でいいのかしら、セル?」
「ええ、久しぶりですね、ランチェスタ」
二人の最高位の魔族は同時に楽しげな笑みを浮かべた。











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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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